日本の米不足はなぜ起きたか 原因や本当の理由
減反政策はなぜ起きたか
備蓄米の放出が決定、遂行され市場に備蓄米が出回り始めましたが、
米の価格が値下がりする気配はなく高値のままで、米の値段の推移が
注視されています。
お米は足りている、流通業者間での滞留が起きている、備蓄米を
放出すれば価格は値下がりする、その様な言説がなされていましたが、
お米の値段は落ちていません。
日本人の主食であるお米がなぜこの様に不足する事態が起きているのか、
その本当の理由や原因は何なのか、要因を考えてみます。
諸事情が絡んでいる事とは思いますが、現在の米不足は滞留ではなく、
本当にお米の不足、供給、生産能力が落ちているのではないでしょうか。
現在の米不足が起きてからよく挙げられる原因に、
日本の減反政策があります。
減反政策とは、1970年に導入され、2018年に廃止に至りました。
目的は「米の過剰供給を防ぎ、価格を安定させること」とされていました。
米の生産量の調整、米以外の農作物への転作奨励が行われ、協力した農家には
補助金が支給されていました。発足当初は農家が自主的に参加する制度で
したが、1980年代には減反政策への参加が実質的に義務となり、お米の
強制的な生産量の調整がなされていました。
増産を奨励、それに対し支援金や補助金が出されるならともかく、減産、
極端には作らないことに補助金を出すというのはどう考えても不自然です。
なぜこの様な不自然な減反政策が長年にわたって行われたのかを考えますと、
アメリカが日本に対して計画していた食糧戦略が大きな原因、理由になって
いたことが伺えます。
先の大戦後、アメリカは日本に対し二つの大きな経済的な計画を
立てていたと言われています。
一つはアメリカ産の自動車を購入させること、もう一つは自国の
余剰農産物を日本に消費させること。振り返ると、自動車については
逆に日本産の自動車がアメリカに広く普及したかと感じますが、食糧に
ついては計画通りアメリカ産の農産物が多量に日本人の食生活に
入り込んできています。
アメリカは日本人が主食に米を摂取している点に着目し、これを
改変すべく働きかけを過去に行ってきています。日本人の食生活近代化、
という名目で欧米型の食生活を賞賛し、和食を排斥する運動を起こしています。
戦後、日本ではキッチンカーという調理台付きのバスが二十数台も用意され、
それらが分担して日本の全国を巡回してパン食やフライパン料理などを
指導、提供して廻ったと言われます。
この運動は当時日本の行政による指導かと思われていましたが、
実態はアメリカの西部小麦連合会会長のリチャード・バウム氏が
資金提供してアメリカの小麦を宣伝するために手掛けた事業であった
事をご自身が述懐しています。
こうした洋食礼賛運動のせいか、子供たちの学校給食にもパン食と牛乳が
供され、この時代に日本人の食生活が短期間のうちに激変していったこと
が伺えます。
日本が国力を回復し食糧難を克服しつつある時期に洋食がもたらされた
せいか、お米がダブつく様になったのでしょう、ここに不自然な減反政策が
敷かれる原因や理由があった様に思えます。
小麦、パン食だけでなく、日本人の食生活において肉食化を促すべく
アメリカの飼料穀物協会のある人物が「日本飼料協会」を発足させ
畜産農家への技術援助などを展開し、餌穀物としてのトウモロコシや
大豆の需要を喚起してもいます。この様に食料を戦略として捉え、日本人の
食生活を改変、食料問題から日本をコントロールしようとする試みが
戦後から行われてきています。日本人の直接の食料だけでなく畜産の
餌穀物まで輸入に依存させる事を進めてきています。
鶏卵は大部分が国産かと思っても実態はエサやヒナまでもその
ほとんどが輸入が実態の様です。
アメリカではかつて農務長官や大学の教授らが食料を戦略として
日本をコントロールする事を公言もしていますから、やはりこうした
状況は計画的に進められてきているようです。
かつてGHQの日本占領政策の第一は、日本の農業を弱体化して
食料自給率を低め、日本をアメリカの余剰農産物の処分場とすることが
掲げられていました。
他にもアメリカは世界中から留学生を受け入れ、自国で市場原理主義
(アメリカンルールでしょうか?)を指導し、そこで学んだ生徒たちが
母国へ戻り、受けた教えを実践してゆく。これが最終的にはアメリカの
多国籍企業に利益をもたらす形態になっている様です。
今後台頭するかもしれないゲノム編集食品も、販売がなされた場合は
特許料がアメリカのグローバル種子農薬企業に入る構造になっている
様です。
現在の日本の米不足、令和の米不足は不自然な減反政策に原因や理由が
考えられますが、さらに深く考察するとアメリカの食料戦略が大きな原因、
理由になっている事を感じます。
令和の米不足に至る原因 米食低脳論?
現在の米不足の原因や理由には減反政策や食料戦略があった事を
考えましたが、その他にも過去に「米ではなく小麦が原料のパンを
食べましょう」といった洋食礼讃というか、米よりパンを主食に勧める
書籍が出版されていますので記述してみます。
1958年、「頭脳 才能を引き出す処方箋」といった題名の
書籍が出版されました。
著者は慶應大学名誉教授であった林髞(はやし たかし)氏です。
この書籍の内容は大雑把には、洋食推進運動というか、米よりパン食を
勧める内容が記述されていた様です。

「これはせめて子供の主食だけはパンにした方がよいということである。(中略)大人はもう、そういうことで育てられてしまったのであるから、あきらめよう。悪条件がかさなっているのだから、運命とあきらめよう。しかし、せめて子供たちの将来だけは、私どもとちがって、頭脳のよく働く、アメリカ人やソ連人と対等に話のできる子供に育ててやるのがほんとうである」(『頭脳』161~162ページ)
この書籍は今から50年以上前に出版されていますので、現在ではその
インパクトも薄く、存在も忘却されているでしょうが、上記の引用の様に
パン食を推進する食生活が唱えられ、当時は時代背景もあり、また著者の
林氏の肩書きも有った為か、この書籍はベストセラーとなり、当時の社会に
与えた影響は大きかったと観られます。
今現在、お米を主食とするよりパン食の方が頭脳に良い、との説を
聞いてどのぐらいの人がそれを真に受けるかは判りませんが、この書籍の
内容は欧米型食生活、パン食奨励の様です。
林氏は前述のキッチンカーによる巡行先での試食会、講演会などにも
しばしば招かれて活動を行い、アメリカの穀物協会から研究費と称して
資金提供、パン食宣伝の強い働きかけを受けていたことも
判明しています。
こうした経緯を考えますと、林氏の書籍での主張には疑問が残り、
アメリカが遂行していた食料戦略の尖兵役を担ったのではないか、
との疑いもでます。
この時代、海外からの食料戦略や書籍でのパン食提唱などから、
日本人の食生活は短期間のうちに激変したことは明らかで、これほどの
変化は世界的にもあまり例がないとも言われています。
日本の食生活の洋風化は、鹿児島国際大学教授、西原誠司氏の論文
「穀物メジャーの蓄積戦略と米国の食糧戦略」に詳しく記述されている
ようです。
この変化が主食であるお米の消費を減らし、代わりに外国産の小麦を
多量に消費し、不自然な減反政策がスタート、日本の食料自給率が年々
減少していったと考えられます。現在の日本、令和の米不足の理由や原因
として見据えておきたい事情です。
書籍では林氏の「頭脳」よりも以前に、丸本彰造氏(1886~1961
広島県出身)著述の「食料戦争」という書籍があります。この本では食料自給
体制の高度化を力説し、農村は国の元であり、食糧こそ国防の第一線として
農村の振興を訴え、減反政策に対しては「減反は国防の将来を危うくする。
国家が買い上げ全国の倉庫に籾貯蔵すべきである」「人体の在るところには
人体を作り上げる食糧がその付近にある事」「農村の姿を都市にも及ぼせ」と、
地産地消を唱えました。時代背景もあったせいか、この書籍には所々激しい
文調や表現も観られますが、現在の食糧問題を抱えた日本が改めて
読み直したい書物です。
この本はアメリカの食料戦略に差支えがあるとみなされたか、
時のGHQによって焚書の対応に遭っています。
(現在復刻版が出されています)
減反政策は現在は廃止に至りましたが、実際にはいまだに農協から
生産目安のようなリストが農家に配布され、コメの生産量をコントロール
しようとする動きが続いているようです。
私たちは現在、戦後の食糧難時代に比べると、比較にならないくらいに
豊かな食料環境の中にいると感じます。お米、小麦が原料のパン、和食に
洋食と自由に選択でき、現実にはまだ食料の制限もない状態にあります。
しかし、現在の米不足から食品の裏側というか流通網の実態や生産状態を
考えて観ますと、短期間で非常に危険な状態に見舞われる可能性もある
のではないでしょうか。
日本の食料自給率は現在40%を切った状態ですが、農産物のタネ、
肥料などを外国からの輸入に頼っている点を考慮すると実際の自給率は
もっと低い数値になると言われています。
諸外国を観ても国防の観点から食糧の重要性を再認識し、食糧の輸出入を
引き締めに掛かっている事を感じます。前述の丸本氏は著書の中で貿易主義、
外国依存主義は食料の独立を軽視し、国防の基礎を危うくし亡国となる、
食料自給自足国を掲げ、日本的パンの普及も提唱しています。
日本は現在の米不足がどういった原因や理由で起こっているのかを
振り返り、食料自給率を高める時だと感じます。